日本人と稲作について
   
日本への稲作文化の伝来は、遥か縄文時代中期に遡ると言われています。
以来、日本人は稲作をその生活上の基盤とし、農耕民族としてその悠久の歴史に於いて大切に受け継がれてきたのです。

日本人が、稲作或いはお米というものを、他のどんな作物や産業よりも重要なものと位置付けていたことは、税制度に目を向けるとよく分かります。
古代においては「租」、中世・近世では「年貢」と言葉は変わりますが、その年毎の税はすべてお米によって納められていたのです。このような税体制を敷いたのは世界でも稀だと言われています。

税というとあまり良い印象を抱かない人々が多いかもしれませんが、国家政策上の基幹的制度の一つにお米が組み入れられていたことは、当時の人々にとって、稲作・お米というものが国家の趨勢を左右するほどに重要なものであったことが窺い知れるわけです。


 また、明治時代以降には、現在私たちが食べているような、美味しいお米が作られるようになるまで、品種改良などの様々な努力が行われたことも忘れてはなりません。

元々、お米(稲)という植物は温暖湿潤な気候の土地での生育に適しているものであり、日本のような寒暖の激しい気候風土の土地での栽培には本来適さないものです。

現在、北海道や東北・北陸地方が米栽培の主要な地域として挙げられますが、それを実現するためには多くの人々の労苦と努力があったことを忘れてはならないと言えるでしょう。

それは現在、私たちが毎日の食事に御飯(米飯)を当たり前のように食べていることも同様で、そのために沢山の米農家の方々が大変な努力をなさっていること、冷害や日照りといった季候による影響、それらが原因で稲が病気になったりもします。

そういった悪条件は、人間の力ではどうにもならないことが多かったり、予測出来なかったりするものが多いですから、お米を育てるということは大変な苦労と努力をしなければならない。それを強いてまで、お米を育て、私たちの食卓へと届けてくれる米農家の人々には、感謝してもしきれないものがあります。


 私たち日本人が、遠い昔から稲作・お米というものを大切にしてきたことは最初に述べました。そういった日本人のお米に対する尊敬の態度というものは、神話の中にも語られています。

先ず挙げられるのが『日本書紀』神代上「天孫降臨」段に於いて、天照大御神が皇孫瓊瓊杵尊に授けられた「斎庭稲穂の神勅」です。

この神勅を以て稲作は我が国の人々が生きてゆく上で最も大切な生業として重視されていたことが分かります。また、それによって得られるお米は、神様が食される神聖な食物であると同時に、私たちが生きてゆく糧として、いわば「生命の根源」として、今日まで大切に受け継がれてきたのです。

そのことは国学者の本居宣長が稲を「命根」、つまりは「生命の根源」と評したことからも明らかでしょう。

 また、現在でも宮中や神宮では、新嘗祭や神嘗祭といった神様へ新穀の稲・粟を奉る祭祀が、その年中で最も重要な神事として絶えることなく執り行われていますし、全国の神社でも五穀豊穣を祈念する或いは稲作に関る神事が執り行われています。

神道祭祀に於いて神に供進する神饌の最も上位はお米であり、それは塩と水とともに絶対に欠かしてはならないものと定められています。ご家庭に神棚をお祭りしている人であれば、毎日欠かさずその三種を神前にお供えしているでしょうから、お分かりになると思います。


 稲作文化、或いはそれによって得られるお米は、古来神様からの賜物と考えられてきました。それは、私たち日本人にとって国家・民族の宝物と評してもよいものと言って良いでしょう。それは、皆さんの大多数が「御飯」という普通名詞を出したとき、お米を炊いた真っ白な「ゴハン」を先ず連想することからもお分かり頂けると思います。


 現在、世の中では「食の安全」や「食育」といった、「食」に纏わる言葉が頻りに飛び交っています。安全な食べ物を口にすることは勿論大事なことと思います。安全な食品、食物の生産などの過程を知り、「食」への理解を深めることも大事でしょう。

しかし、もう一つ大切にしてほしいものとして「食の多様化」という言葉に隠れて、粗末にされる日本の大切な「食文化」が挙げられます。

 それは、メディアを媒介として持て囃されるような華やかなものや、またダイエットや成人病予防に効果があるといった理由で「健康食品」として重宝されるような、流行り廃りのものであってはならないと思います。


 日本の伝統・文化としての「食」の継承が大切なのであり、勿論その中心には「お米」が据えられるべきでしょう。悠久の歴史の中で、日本人が大切に伝えてきた稲作文化と米文化は、私たちの子孫へ健康に良いといった間違ったかたちで受け継がれてはならないものです。

「生命の根源」としてのお米、それを得るための生業としての稲作、その在るべき形を壊すことなく守り伝えてゆくこと、それが大切だと思います。

 それは決して、農業に従事する人々だけが経験として語るものでも、体験学習での農作業から学び得ることに限定されないと思います。「食」即ち「生命の根源」に対する感謝や、それを作ってくれた人々への感謝の心というものを、ご家庭で食事をしながら話すことも十分に果たされると思います。


 現在、盛んに唱えられている「食育」という言葉は、決して学校教育に限られるものではなく、寧ろ各家庭がその教育の場になってこそ、初めて意味のあるものになるのです。大袈裟な言い方をすれば、将来私たちの子孫が祖国の伝統・文化を大切に守り、その継承・発展に真摯に取り組めるかも、こういった点に関っているのではないでしょうか。
 

 

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